「55年ぶりの大発見」が世界中で大ヒット ジョン・コルトレーンはなぜ「特別」なのか(産経新聞)

55年をへて発見されたと話題になったサックス奏者、ジョン・コルトレーン(1926~67年)の“幻の録音”がCDやデータで発売され、世界中でヒットしている。ジャズの聖人とも呼ばれたコルトレーンが、21世紀もなお大きな存在であることを証明した。

■異例のヒット

 発見された音源は、「ザ・ロスト・アルバム」と命名され6月29日にアルバムとして発売された。ドイツで3位、フランスでは4位…と欧州で強さを発揮し計9カ国で売り上げ順位20傑入りを果たした。日本では初登場14位(オリコン調べ)。2週目も25位に踏みとどまっている。Jポップ作品などと混じっての成績。ジャズだけなら文句なしの首位だ。

 発売元であるユニバーサルミュージックの斉藤嘉久(よしひさ)・クラシック&ジャズ制作グループ次長(46)によると、日本の場合、発売日に合わせて生産したCDは1万5000枚。直後、販売店や流通業者から5000枚の追加注文があった。海外のジャズ作品としては、CDバブルの頃を含めても「異例の数字」だという。

■どよめいた会議室

 斉藤さんは、今年1月、米ニューヨークの本社に招集された。傘下のヴァーヴ・レコードの往年の名盤の販売戦略を討議する中で、この発見音源の商品化は明かされた。

 1曲だけ披露されたが、その場にいた15人全員が圧倒された。半世紀も前の録音テープが、よくぞ劣化しなかったものだ。これは売れるぞ。驚きと興奮の声が上がり、本社ビル3階の会議室は拍手で包まれた。

 斉藤さんは、モノラル録音の音質を懸念していたが、かえって音楽の輪郭が鮮明だと感じた。「すごい!」とうなった。

■失われたテープ

 斉藤さんらが驚いたり興奮したのは、これが本来、世に存在するはずがない録音だからだ。

 関係者らの話では、コルトレーンは63年3月6日に当時のバンドと録音スタジオでこの演奏を吹き込んだが、お蔵入りになった。理由は不明だ。録音テープは、レコード会社の倉庫に眠った。4年後、コルトレーンは肝臓がんのため40歳で亡くなった。

 70年代後半に米国のマイケル・カスクーナさん(68)らが、レコード会社の倉庫に調査に入った。倉庫に埋もれた録音物を“発掘”し世に出すことを生業とするカスクーナさんは、この録音が行われたことが記載された台帳を発見した。が、この“ジャズ界のインディ・ジョーンズ”をして録音テープ自体は見つけられなかった。コスト削減のためレコード会社が保管物を廃棄したと推測されている。

 テープは失われた。が、思わぬ形で演奏は蘇る。

■日本人研究家

 時は流れて2005年。競売会の主宰者からの連絡に、レコード会社は驚いた。2月にニューヨークで開かれる競売会に出品される録音テープがある。その権利の所在を確認したいというが、聞けば中身はまさしくあの失われたはずの演奏ではないか。持ち主はコルトレーンの前妻の娘、サイーダさんだという。

 「おそらく、自宅に持ち帰って聞き直すため、コルトレーンが別の録音機で同時に録音していたもの」と斉藤さん。トップスターならではの特権。〝本物〟はステレオ録音だったが、こちらはモノラルという違いはあるが、内容は同一。失われたテープの演奏は、遺族の手元に残っていたのだ。

 レコード会社から出品に待ったをかけたられたサイーダさんが相談を持ちかけたのが、藤岡靖洋(やすひろ)さん(64)だった。大阪で呉服店を営む藤岡さんは、コルトレーン研究の世界的な第一人者で、遺族らとの交流も深いし、海外のレコード会社とのパイプも太い。

 藤岡さんはニューヨークに飛んで、サイーダさんをレコード会社の担当者に引き合わせた。こうして失われた演奏は、レコード会社に戻った。

 担当者のケン・ドラッガーさんが一時レコード会社を離れるなどの曲折もあり、さらに13年を要し、55年もへてしまったが、演奏は「ザ・ロスト・アルバム」として世に出た。

■聖人

 藤岡さんは、05年の競売会の詳細を直後に日本のジャズ誌に書いた。今回のCDの解説でも言及しているが、サイーダさんは他の遺品を出品した。藤岡さんは「音楽家の貴重な遺品が競売にかけられる例がしばしばあるのは、作品の印税が遺族に正しく支払われないからでしょう」と話す。

 「ザ・ロスト・アルバム」は、長い時間とさまざまな思いが交錯して世に出た。それもこれも「コルトレーンが神格化された特別な存在だからです」と藤岡さん分析する。

 コルトレーンは、昭和41年7月6日に公演のため来日した。ちなみに、ビートルズが離日した3日後だ。来日会見でコルトレーンは「私は聖人になりたい」と発言。藤岡さんによれば「この発言およびその後の音楽の精神性、宗教性の深まりとが相まって、コルトレーンは神格化された」。

 今回の録音は、そんな“神”になる前の演奏をとらえた。斉藤さんは「ジャズを超えた音楽的遺産」という半面、「当時のコルトレーンの素顔を知れる」とも表現する。歴史的大発見の中に記録されていたのは、自分たちの音楽をついに見つけた喜びを爆発させる若い演奏家たちのはつらつとした姿だった。(文化部 石井健)

 ■ジョン・コルトレーン 1926年、米ノースカロライナ州生まれ。ジャズのテナーサックス、ソプラノサックス奏者。50年代、帝王と呼ばれたトランペット奏者、マイルス・デイビス(1926~91年)の楽団で注目を集めた。62年からマッコイ・タイナー(ピアノ)、ジミー・ギャリソン(ベース)、エルビン・ジョーンズ(ドラム)を擁した自身の楽団は「黄金の四重奏団」と呼ばれた。65年以降、次第に過激で斬新な音楽表現に傾倒。67年7月17日、死去。

 ■「ザ・ロスト・アルバム」 原題は「BOTH DIRECTIONS AT ONCE」。CDの解説を書いた米音楽ジャーナリスト、アシュリー・カーンさんによると「双方向へ一気に突き進め」と言う意味。全7曲を収録。いずれもこれまで未発表。CDは「デラックス盤」も発売。4曲について7つの別テイク(演奏)も追加収録している。録音した1963年は、「バラード」など入門者も味わいやすい大向こう受けする作品を連発していたころなので、自作曲を中心としたここでの演奏は異質ともいえる。